2003年1月22日 オートクチュール パリ コレクション

エリーズ・クロンベ

最初の写真は モデルのエリーズ・クロンベ。パリコレを幾度か経験した中で 何度か会ったモデル。しかも1回は 手がけた服を彼女が着たので ちょっと気なる人☆話をした時もサンパな感じでした。

さて
昨日に引き続き パリコレ。
“1月と7月は オートクチュールコレクション"って 昨日も書いたけれど その日程・プログラムは サンディカ(パリ クチュール組合)によって 決められるもので
いつも大体同じ曜日。同じ時間。同じプログラム。というわけで昨日は去年の日記だったけれど 今日は 一昨年の日記を。


2002年まではサン・ローランも現役だったから プログラムも微妙に違ったけれど サン・ローランのオートクチュール引退後は “サン・ローラン発表日”としてプログラムされていた日の他のメゾンの時間構成がずれた、ラシイ。そんな影響で 当時 私と関係のあったメゾンもびみょ〜に時間が変わった、という話を仕事場で小耳に挟んだ事があります。
15年ほど前の湾岸戦争で オートクチュールのお客様が激減したという事ですが 先のイラク戦争(現在進行中か・・・)で またもや この業界は大打撃!!!現在 シャネルを除いて殆どのオートクチュールのメゾンが 虫の息、という経営状態・・・“休止中”“考え中”という名目で事実上オートクチュール部門は看板をおろしてしまった という状態のメゾンが少なからずあります。元々数少ないオートクチュールだけに(正式会員は11メゾンだったかな)その激変ぶりは渦中の人間にとってヒシヒシと感じられました。丁度2002年の1月のパリコレ辺りまでが いわゆるオートクチュールらしい贅を尽くしたコレクションだったんじゃないかなぁ 私が肌で感じるに。この1月以降、この世界は ガタ、ガタガタ・・・と階段を転げ落ちるように衰退していった感があります。この次の7月のコレクションは 1月のコレクションが イラク戦争の影響で鳴かず飛ばずな結果となってしまったが為に 背水の陣といった緊張感と力の入れよう、お金の掛け方で挑んだコレクションでしたが世界情勢の大きな流れには逆らえず・・・美しい!!!!!!!と体で感じる芸術作品の域のドレスも 戦争の前に無残に散った、そんな感じ。
あの 素晴らしいオートクチュールの世界が衰退の一途をたどるのは 心底残念・・・

さて写真は 今回も裏でのモデル写真。

 
メイク中とショーの直後ののジャケッタ・ウィラー。身長が180センチらしい。顔がキュ〜〜〜って小さくって 足と手がピョ〜ンって長くって、愛らしくって、まるでバンビちゃんっ☆って感じです。彼女も何度かパリコレで会う機会が有って話した事もあったけど 流石トップモデルとしてのプロ意識が感じられ、それでいて やっぱりサンパでした☆

ナタリア・ヴォディアノヴァ。他のモデルよりも若干小さくボリュームもある感じを受けたけれど とってもキュートで存在感抜群。


ユージニア・ヴォロディーナ(だったかな?)
この服のインナーを全て手がけただけに思い入れがかなり有ります。こうやってトップモデルが着てくれて 各国から集まったプレスによって世界に発信されるのは ゾクゾクしますね、はい。自己満足ですが・・・