2000年3月23日 パリ生活 1年経って(当時のおフランス日記より)

今日で ちょうど 一年。
私が パリに来て一年が経ちました。
1年前の3月20日に卒業して 
22日 成田を発ち、
23日早朝シャルル ド ゴール空港に着いたんだっけ。
そういやあ、成田じゃ、飛行機に乗る、ほんっと 最後の最後まで携帯で電話していたよなあ・・・携帯が大好きだったよなあ・・・
着いたら すぐ、家探し。
どたばたして 家が決まって、26日にホテルからアパートに移って
ようやく パリでの一人暮しが始まったんだっけ・・・

感想は
ただただ、早い!
非日常だったものもが どんどん 日常化していきました。

街にはフランス人が溢れているのも
フランス語が溢れかえっているのも
意外に黒人が多いのも
そんな黒人は時にはゾマホンのような民族服を着て、
民族の本で見るような
青黒く刺青の入った顔で 普通にパリを闊歩しているのも
そんな黒人は北のほうに行くとやたら見かけるのも
そして中国人が やっぱり ちゃっかり中華街を2つもパリにつくっているのも
南のほうへ行くと 上まぶたじゃなくって
下まぶたに黒々とアイラインを引いちゃっている中国人に沢山出くわすのも
ちょっと東のほうへ行くと
ちょこんと 帽子(って言うのかな)をのっけたユダヤ人が
やはり服飾の問屋街もしきっていて
そんな街は宗教的に金曜日は休みになるのも 
そんでもって
フランス人はというと
普段から 日本人の日曜日以上の働かなっぷりなのに
日曜日には スーパーが、デパートが、
街全体が本当に休んでしまうのも
しかし そんな西洋人を尻目に
中華街は日曜日も活気があるのも 
「普通」になりました。

最初は 夜に出歩くのが怖くって 出かけなかったけど
どこら辺が危なくて どこは まあ、大丈夫か、わかってきて
終電間近でもばしばし電車に乗っていますぅ。
でも やっぱり 北のほうには夜は行かない。
東の方にも行かない。

こんな風にパリのことも なんとなく分かるようになりました。
わずか 山の手線円内ぐらいしかないパリだから
そりゃあ、一年すりゃ、なれて当然なんだろうけど。


乗換駅、フランクラン ルーズベルト駅で
だいたい毎日 連絡通路に居る音楽家
最初、
私が通ったとき
日本人の観光客向けのさくらさくらをひいたんだけど
それも1回だけ
毎日 同じ時間に すんごい足音でかけていく私は
彼にとっても通学の一人にかわったみたいです。

みんなの一年はどうでしたか?
もし、ひまがあったらメールください。

えせパリジェンヌ、●●より。


(名前は伏せました☆)