11月25日 SAINT-CATHERINE 今日はサンカトリーヌ☆

a--------a2005-11-25

数日前、立て続けにフランスからの便りが届いた。


1通はパリの恩師からの手紙。(最後にこれについては触れます)もう1通は パリの私の卒業校から、メールで、“Comme chaque année, à l’occasion de la Sainte Catherine, ****(学校の名前) organise une fête.”と、サンカトリーヌのパーティーのお知らせ。


フランスのカレンダーには 小さい文字でゴニョゴニョと書いている文字がある。(愛用しているQUO VADISの手帳にも必ず書いてあります)
例えば 先週の暦から言えば・・・・11月17日が“ELISABETH”(エリザベス)、19日が“TANGUY”(タンギー)・・・
トラディッショナルな名前の付け方は 産まれた日の暦に対応した名称に沿って名付けていたという事。(最近はそうでもないらしい。古い考え方の親はそう付けているけれど・・・と言うのが最近のフランスという事。フランス人の親友談)


さて 暦によると今日は“Saint Catherine”(サン・カトリーヌ)☆☆☆☆☆
11月25日の この、サンカトリーヌ、実は クチュール業界のお祭りの日


この日、25歳、かつ独身であるクチュール業界に携わる(学生も)女性が祝ってもらえるのです!!!


こう書くと 日本の感覚では 小さな、その業界だけのお祭りでしょ?って思うでしょうが私も体験してビックリ!!! なんとその日、上記の通り、25歳で独身、クチュール業界の女性は“カトリネット”と称され、大々的に祝ってもらえるのです!!!テーマカラーは 黄色☆もし 今日、フランスでその色の帽子を被っている女の人が居たら、それはカトリネット☆


今日の日記だけは 具体的な年を入れません。なぜって、私の歳がばれちゃうから。

私がカトリネットのお祝いの歳になった時、そこまで 伝統的なお祝いとはつゆ知らず。当時学生だった私は 先生から「明日は サン・カトリーヌだから キレイにしてきなさい」と言われ。その日の何週間か前には頭のサイズを測られたり・・・。この25歳のお祝いの為に 私の知らない何かが 着々と準備されて 動いていたわけです・・・
「何だ?サン・カトリーヌってば???」って疑問を抱きながら。

当日。

学校に行くと 全学年のカトリネット(25歳で独身の女性)だけが朝から登校。そして一人ひとりデザインの違う黄色の帽子がプレゼントされ、被せてもらいました☆
更に 今日の主役、カトリネット一人ひとりに封筒が配られました。開けて中を見ると パリ市長から、パリ市庁舎で行われるパーティーの招待状!!!ひょーーー!!!これから 市庁舎でパーティーかーーー!!!

そして正装した先生方に私たちカトリネットは連れられ その帽子を被ったままで1号線に乗ってパリのオテル ド ヴィル(パリ市庁舎)へ。メトロの中でオバサンが「あら、今日はサン カトリーヌね。」とつぶやいたのが印象に残っています。だって、一般市民にも知られたイベントだって 初めて判ったから。

さてさて 私達と同じように黄色の帽子を被った人たちで溢れた市庁舎の裏側の入り口で招待状を提示。すると門番が「アレジ(どうぞ)」と通してくれる。いや〜ん!初潜入!!!(川口浩のノリ)

初めて踏み入るパリ市庁舎。ひんやり重い空気、厚い絨毯に足をとられて ワクワク☆ドキドキしながら 一歩一歩確かに踏み進めて 大広間へ!!!

階段を上がって 更に進んで 開かれた大きなドアを踏み入ると・・・そこは大広間!!!素晴らしい天井画!!!!!!!!!流石!!!パリ市庁舎!!!!!
 

そして 学生は勿論、シャネル(下の写真左)ディオール・・・全てのメゾンのカトリネットたちも それぞれのメゾンで作ってもらった帽子を被ってそこに居て。各メゾン すごく素敵な帽子!!!特にシャネルは チュールに シャネルの、あのマークが入っていて しかも大振りなつばで、圧巻!!!また、ロリータ・ランピカ(ここの香水愛用☆)の帽子も装飾性が非常に高くて 見入ってしまう!!!
 
とにかく このパーティー、華やかで、素敵!!!

取り立ててフランスに夢や幻想を抱かずパリ入りした私は、割と冷めた目でパリを見ていたけれど それでも 滞在中何度か「ああ、私はパリに来てよかった!!!!!!日本じゃありえない経験を今、パリに居るからこそ させてもらってる!!!!!!」と感動する事が有ったが サン・カトリーヌは この内の一つに入ります。

目の前に広がり、今自分が体験してる貴重な経験に 写真を撮る撮る撮る!!!
私の先生と、それから クラスメイトと、それからそれから このパーティーの主催者、パリ市長と☆
 
美味しいシャンパンやオードブルも用意されて “芸術を重んじる伝統的なフランス文化”を感じた一日。


そのパーティーの後、今度は先生たちと学校に戻って 学校でパーティー!!!
パリのクチュール組合長のグランバックさんなども出席してカトリネットに花束贈呈をしてお祝いしてくれる!!!なんて 素晴らしいのぉ!!!!!!
 お祝いに贈られた花束☆(これまた緑と黄色)勿論ドライフラワーに☆

その後、毎年恒例、テーマに沿って 在校生参加の仮装パーティー!!!

ほんと 素敵な文化☆

余談ですが・・・
そもそも サン・カトリーヌは女の子だけのお祭りで パリ市庁舎でのパーティーも女の子だけ招待されていたんだけれど。
パリ市長が “そっち”の嗜好のある人に変わってから、ファッション業界にも沢山要て、私の友達にも何人もいる、“そっち”の人たちに市長は寛容だからなのか???私がカトリネットだった2年後ぐらいから このパーティー、男の子も招待されるようになったとのこと。そして 各メゾンや学校毎に ショー形式で帽子を披露するようになったとか。(後輩談)(私個人は“そっち”の人に全く偏見が無いです。一応念のため一言加えておきます)
流石、今のパリ市長!!!“パリ プラージュ(パリ砂浜:夏のヴァカンス時限定 セーヌ川 河川敷砂浜計画)”をやったり “ニュイ ブランシュ(白夜:夜中いろんなイベントをやる日)”をやったり(そして“そっち”の世界が許せないアラブ人の青年に刺されたり☆)・・・色々楽しい事を考えて実行に移す市長だけに、面白いサン・カトリーヌのパーティーになっているようです。イイナー☆今、25歳でパリに居れば・・・


さて
最初に書いた、数日前に届いたパリの恩師からの手紙。

講演に呼ばれて また日本に来るとの連絡。先月私がパリに行った時、オペラ座で待ち合わせて二人で飲んだ時には「日本に行ったら一緒に会おう!具体的な日にちが決まったら 連絡するわ」と先生は言っていたけれど、手紙によると 今回は関西だけしか滞在しないとの事。残念ーーー。
知る人ぞ知る、名物教師だっただけに 日本でも教え子が多い。みんな東京でまた会えるのを待ってるのにぃ。
会えると思ったのに残念!!!と、マダムがパリを発つ前に手紙を受け取ったって電話を、数日前にする。そしてマダムと数分話して、マダムの滞在中、お互い電話をしてみましょ!と言う事で落ち着いた。

相当お歳の先生だから 時差は応えるだろうなぁ、って思って 今晩あたり、そろそろ時差ぼけもなくなってきているだろうから電話するか!と思っていたら マダムのほうから携帯に電話がかかってきた!!!丁度運転中で出られず。
懐かしいマダムからのメッセージを急いで聞いて 折り返し電話!!!
いや〜ん、マダムだぁー!!! 15分程近況を話す。

あーーー今すぐにでも 大阪に会いに行きたい・・・。
前にもこの先生の事は この日記に書いたけれど(http://d.hatena.ne.jp/a--------a/20050710#p1) 在学中、エネルギッシュな先生に、もう大変!!タジタジーーーって感じだった。が、今は一人の人として 本当に大切な人。
また パリに来なさいね、との言葉に 二つ返事で返して “グロス ビズー”を電話越しにお互いして 二人で笑って 電話を切った。